【帰国後の心境整理】色々書かないと次に進めない気がする

青年海外協力隊

前回の投稿から、だいぶ時間が経ってしまいました。

そして、前回の投稿から「こんなに環境っていきなり変わるもの?」ってぐらい、全然違った日々を過ごしています。

本当は更新できていない『派遣から8ヵ月経った活動記録』を書かなくちゃいけないところですが…何故だか筆が進まない。

それもこれも、今何をしたら良いのか、どういう決断をしていけば良いのか…。
自分の中で決め切れていないことへの、モヤモヤのせいな気がしています。

気持ちの整理が少しでもできればいいなと思い、久しぶりにブログを更新してみます。


2020年3月17日に帰国しました。

このブログでは触れていませんでしたが、2020年3月17日にヨルダンから帰国しました。

理由は、ヨルダンが新型コロナウイルスの影響で国境・空港を封鎖することを決定したから。
さらにその後、JICA全体として世界中で活動していた協力隊員を一時帰国させることが決定されました。

 
 

ヨルダンの新型コロナウイルスの状況は?

3月上旬に、初めての感染者が出たヨルダン。
しかし、その後すぐには感染者が増えず。

そんな中、3月14日(土)に突然ヨルダン政府から以下の発表がありました。

  • 3月15日(日)から教育機関を封鎖
  • 3月17日(火)から国境、空港を封鎖
  • その他、公のイベントや宗教儀式の禁止、観光地を閉鎖


『感染者がまだ1名なのに、なんで突然…?』

と思っていたら、翌日には感染者が6名となり、感染者増加の可能性に向けたかなり先手の対応だったということが分かりました。

以降も、1日あたり約15人前後の感染者が出ていたのですが、5月上旬には感染者がゼロな日も。

早々に県を越えた移動を制限したり、厳格な外出禁止令が出されたりと、徹底した封じ込め政策が功を奏している印象です。

しかし、直近は徐々に規制も緩和されていたのですが、緩和された途端に感染者が再び約20人に増加するなど、まだまだ油断できない状況が続いています。


…まぁ日本より”まし”な状況には、間違いないですが…。


帰国が決まったときの心境「正直ほっとした」

そんなこんなで、突然決まった一時帰国。

他国の同期隊員などから心配の連絡をもらったりもしたのですが、当の本人の心境としては、全然悲しくなくて。

むしろ、『帰国できるのが嬉しい。ほっとした。』という感覚。


正直言って、3月上旬からコロナ差別がかなりエスカレートしていて。

街を歩けば「コロナ!コロナ!」と大人にも子供にも叫ばれ、目が合うとニヤニヤしながら口元を隠されるなんて日常茶飯事。

その様子を間近で見ているのに注意をしない大人たちに「これは立派な差別だ!」と訴えても、「冗談と受け取れないあなたが悪い」という雰囲気を作られるという始末。

(どっちかと言うと、「コロナ!」と言われるより、この雰囲気を作られる方がきつかった。)

何かが自分の中でプツンと切れてしまい、3月頭にはメンタル面で生まれて初めて『あ、これはまずい』と思うことがあったり。


協力隊事業は日本国民からの税金で行われており、その税金で派遣させてもらっているのに、「ほっとした」という言葉は使っちゃいけないかもしれない。

でも、未だに帰国が決まったときの『肩の力が抜ける感覚』を鮮明に覚えています。


任地を離れるときに悲しかったこと

帰国が正式に決定し、その日には任地を離れないといけないことになり、バタバタと荷物をパッキングして、家を片付け、冷蔵庫などの食品を整理して。

パッキングしているときは、「まぁ戻ってくるでしょ」なんて思いながら、最低限のものしかスーツケースに詰めず。

夕方には迎えの車が来て、近くの都市に住んでいる隊員・同じ街に住んでいる隊員とともに首都のアンマンへ。

任地を出るとき、夕方ということもあり、ちょうど帰宅ラッシュにぶつかってしまい、任地の中心部には人や車がごった返していました。

そんな中で、日本人しか乗っていない私たちのワゴン車が目立つ目立つ。

道を歩く人からは、ニヤニヤしながら指を指され、「コロナ!」と叫ばれ。
混雑により道路でバスと私たちが乗っていたワゴン車が並ぶと、そのバスに乗っていた女性達に目が合った瞬間ニヤニヤしながら口元を隠され。


一応、去年の9月から住んでいたんですけどね。この街に。
なかなか好きになれなくて、それでも好きになろうと努力をしたんですけどね。

パッキングしていたときは、「まぁ戻ってくるでしょ」と思っていました。

思っていたけれど、ニヤニヤしながら指を指してきたり、「コロナ!」と叫んできたり、目が合うのを待ってニヤニヤしながら口元を隠してくる彼らを見て、「戻って…くるか?」と思ってしまった自分がいて。

そんな彼らを見ながら、すごく悲しくなってしまいました。


そして、「やっぱりこの街が好きになれなかった」と思ってしまったのです。
そんな自分に、ショックを受けてしまいました。


もちろん、ヨルダンでは本当にたくさんの人にお世話になりました。

親友と呼べる友達もできた。
私のことを妹と呼んでくれて、歓迎してくれる家族もできた。
配属先の同僚も、大家さんも良くしてくれた。

出会えてよかったと思っているし、心から感謝しています。


しかし、任地を出るときのあの悲しさ、あのショックを忘れることができません。


帰国してからの日々

3月17日(火)に帰国してから、まず最初に思ったのはこんなことでした。

『髪の毛を結ばず、フードも被らず、サングラスもかけず。
 周囲を警戒せず、周囲の目も気にせず。
 好きな服を着て、好きな時間に、好きなように外を出歩けることが嬉しくて嬉しくて仕方がない。』


もちろん自宅待機をしなければいけなかったので、コンビニやスーパーに行く程度。
そんな些細な外出でも、上記のようなことを感じていました。


しかし、そのような新鮮な気持ちもどんどん日が経つにつれて薄れていき、あっという間に日常に。

4月に入ってから「生まれてから、一番暇な時間を過ごしているんじゃないか…」という、気分が滅入りそうな日々を過ごしていたのですが…。

4月後半からは、大学生のときから関わっていたNPOで寄付プロジェクトに参加させてもらったりと、少しだけバタバタした日々に変化してきました。


JICAの最終判断は7月上旬の予定

先日JICAから連絡があり、『任地に戻れるかどうかは7月上旬に判断する』とのことでした。

『戻れない』と判断された場合、2年間という当初の契約期間を満たずに派遣期間終了となります。

正直この『協力隊員だけど、何もしていない』という状況が物凄く嫌で。
というか、自分の精神衛生上、あまり良くなくて。

「はい!もう戻れません!契約終了!お疲れっした!」
って潔く言ってくれた方が、どんなに楽か…と思ったりもしているんですけど。

7月の最終判断を待たずに、次に進む選択をするかもしれないですが、いずれにしろ、悔いのない決断をしたいです。


Azusa



ブログランキング参加中です。応援よろしくお願いします!
↓↓↓


青年海外協力隊ランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

タイトルとURLをコピーしました