【原点回帰②】ガザ地区での経験を振り返ってみる

海外インターン
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こんにちは、Azusaです。

今回も前回に続き、原点回帰の内容です!
ヨルダンに来るきっかけ、そして今後の人生のミッションを見つけられたガザ地区での経験を振り返ってみようと思います。

前回の記事はこちら↓↓

 
 
 

ガザ地区でインターンすることになった経緯

世界一周から帰国し、就活を無事に終え、大学在籍5年目に暇になってしまって。

何か新しいことを始めたなと思ったときに、ずっと心の中にあった中東(特にパレスチナ)への想いを何か行動に移したいと思うようになりました。

そんなときに、在籍していたゼミの教授にパレスチナ難民支援で有名なNGOをご紹介していただき、ちょうど映画上映のイベントが近々であるという情報を確認。

すぐに申し込んでイベントに参加し、事務局長に「何かお手伝いをさせてください!」と直談判します。

そんなこんなで、東京オフィスでインターンさせていただくことになりました。

東京オフィスでの仕事内容は、こんな感じ。

  • 事務作業(雑用やスタッフさんのサポート業務、販売製品の在庫管理や発送対応)
  • イベント運営(国際協力系イベント出展の対応)
  • 動画の翻訳(イベントで放映する動画の翻訳、字幕作成)

主に上記の仕事内容を週に3回出勤して、対応をしていました。

もちろんこのような仕事もとてもやりがいがあり、リアルタイムで入ってくる現地の状況も知ることができるので、新鮮な環境でした。

しかし、同時にやはり現場も見てみたいな…という気持ちを持っていたのも事実。
「学生の間に、現地でインターンできたりしないかな…」
と思っていたものの、スタッフさんには相談せずに時間が過ぎていきました。

そんなことを思っていた最中、事務局長からこんな言葉をかけていただきます。

「現地に行ってみませんか?」

まさかの念願が叶うことになりまして。お話を頂いたとき、本当に驚きまして。
このような機会を与えて下さったスタッフの皆様に、心から感謝しました。

スケジュールを調整し、2015年2月に1か月間インターンさせていただくことになりました。
 
 
 

ガザ地区って?

ガザ地区は、中東のシナイ半島の北東部、東地中海に面している地域です。

そして、別名『世界最大の野外刑務所』と言われています。
どうしてこういう別名があるかと言うと、入ることも出ることも難しいから。

概要はこんな感じ。

  • 人口:約180万人
  • 大きさ:種子島程度
  • 統治組織:ハマス
  • 現状:イスラエルにより国境封鎖
  • 入域制限:イスラエル政府の許可必要(国連職員、NGO職員、ジャーナのみが入域可能)
  • インフラ:電気は1日6時間の供給、水道水は海水

ガザ地区での仕事内容

私の仕事は、『ひたすらインタビューをして、ニーズを探ること』。
 
2014年夏にイスラエルによる大規模な軍事侵攻があり、団体はその緊急支援を行っていました。

少ないスタッフでなかなかニーズ調査ができていなかったということもあり、私が担当することに。

支援をしている人々の自宅や施設を訪問して、イスラエルによる空爆で破壊した家や建物を見せて頂いたり、戦争中の様子やその後の生活などをひたすら聞く。写真に収める。
 
耳を覆いたくなる話ばかりで、泣きそうになることも多々ありました。
 
聞きたいことが色々あるのに…
いざ破壊された建物や、想像を絶するような経験をした人々を目の前にすると、言葉が出てこないことも。
 
とても難しくて。ジャーナリストってすごいなと…。
 
ガザに住む人々の話を聞きながら、 一体どうして、イスラエルは彼らにこんな酷いことをするのか。
こんなに素敵な場所なのに。
こんなに素敵な人々がいるのに。
こんなに可愛い子供達がいるのに。
…と、ずっとこの問いが頭の中を駆け巡っていました。

ご家庭だけじゃなく、幼稚園などの教育施設も訪問させていただきました。

破壊された幼稚園で、そこで教えていた先生や、通っていた子供たちから話を聞いたり。
生々しい爪痕が残る瓦礫の中から、遊んでいたおもちゃを掘り起こし、持って帰ろうとする子供たち。

破壊された自宅の前で、戦争中の話を聞いたり。
ご家族が殺されたという場所を見せていただいたり。

あまりにもショックな話ばかりで、精神的にしんどいと感じるときもありました。

 
 
 

特に印象に残っていること①

とあるご家庭を訪問させていただいた際に、当時4歳の男の子が私に懐いてくれました。
とても元気でやんちゃな男の子だったのですが、ご家族含め非常に辛い経験をしています。

2014年夏の軍事進攻で、イスラエル兵にお母さんが足を撃たれてしまい、またそれ以前の軍事進攻でお兄さんを亡くされているのです。

2014年夏の軍事侵攻以降、4歳の男の子はすごく暴力的になってしまったとご両親が話していました、

外で彼と一緒に遊んでいると、道に落ちていた水道のパルプを手に取り、「パフ!」という掛け声とともに、銃で撃つマネやほふく前進をしだしました。

私はただ単に遊んでいるんだなと思っていたのですが、彼のお父さんが「兵士のマネをして、よく遊んでいるんだ。彼の夢は兵士になって、自分のお母さんの足を撃ったイスラエル兵に復讐することなんだ。」と。

お父さんは、まるで『そんな彼の夢を誇りに思う』とでも言いたそうに、満足げな顔をしていました。

4歳という年齢なのに、もうすでに『復讐』という気持ちを持っていることに、何とも言えない気持ちを持ってしまいました。


特に印象に残っていること②

こちらも子供のエピソードですが、とあるご家庭を訪問している際に、突然天候が悪くなり、風が強くなりました。

窓ガラスがガタガタと風によって揺れだしたとき、そのご家庭の子供たちが、びっくりするぐらい怯えだしたのです。

親御さんに話を伺うと、2014年夏の軍事侵攻中に爆撃による爆風で窓ガラスが揺れることがあり、以降当時のことを思い出して、窓ガラスが揺れると怯えるようになってしまったと。

さらに、雷の光も爆撃の光と思ってしまい、同様に怯えていると。

泣き叫ぶ子供たちを見て、戦争の本当の恐ろしさを突き付けられた感覚に陥りました。
 
 
 

特に印象に残っていること③

現地スタッフと外で話をしているとき、空に飛行機雲を見つけました。
私は特に何も考えず、「あ!飛行機雲だ!」と指を指しました。

そんな私を見て、現地スタッフの彼女はこんなことを言い出しました。

この飛行機雲は、 イスラエル軍の戦闘機が作ったもの。
戦闘機の音が聞こえるでしょ?
この音を聞くと、 『今度いつ、またあの戦争が起きるのか』って考えてしまう。
次の戦争で私が死んでも、 私のことを忘れないでね。

この地区に住んでる人だからこそ、感じること。
この地区に住んでる人だからこそ、感じる閉塞感。
この地区に住んでる人だからこそ、感じる苦しみ。

理解したいけど、理解することができない。
そんな気持ちに押しつぶされそうになりました。

 
 
 

価値観が音を立てて崩れていく感覚と、知った責任

当時23歳だったのですが、23年間培ってきた価値観や考え方、物の見方が、音を立ててグラグラと崩れていくような日々でした。

そして、この状況が正しく世界に伝わっていないことに、違和感と恐怖を感じました。

『知ってしまった以上、見てしまった以上、私はここに関わらなくてはならない。』

帰国後から、現在まで変わらず持ち続けている想いです。


現在は、ヨルダンにてパレスチナ難民に関わっていますが、将来的にはガザ支援に戻るつもりです。
私に何ができるのか、どのような形でガザに関わることができるのか、この2年間で模索していきたいと思っています。


Azusa

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